2012年3月に創業50周年を迎えました。
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50年のあゆみ

沿革

1953年

故谷尾欽也会長、河原産業にて原点である精肉の商いを学ぶ。

1962年3月

創業元年
福岡県鞍手郡宮田町貝島炭鉱の購買所に精肉小売業を開業。

1963年

直方市明治町に精肉店を出店。町名にちなんで屋号を「肉の明治屋」とした。

1970年

全国一先駆け、オーストラリアチルドビーフを販売。

1971年

八幡製鐵所購買部のテツビルストアへの参入が始まる。

1972年4月

福岡県直方市津田町に資本金1,000万円で明治屋産業株式会社設立。

1973年1月

業務拡張に伴い、本社配送工場を直方市大字感田字1丁田に新築。

有限会社 若宮食鳥設立。
(現・新鋭ミート㈱北九州事務所)

1974年2月

福岡に新鋭ミートコントロール株式会社設立。(現・新鋭ミート㈱福岡事務所)

1976年4月

本社工場において土曜名物「びっくり市」をスタート。

1978年4月

大分に新鋭ミートコントロール株式会社設立。(現・新鋭ミート㈱大分事業所)

1978年10月

西日本一の大型中央冷蔵庫(4800㌧収容)が完成。

会長はどんな人だったのか

一家の大黒柱として16歳から働き「いつ寝ているのだろうか!?」と周りが不思議に思うほど、とにかく朝早くから夜遅くまで働く人でした。

下積み時代、河原産業は駐留米軍に肉を納品していましたが、その際駐留米軍は霜降り肉ではなく赤身の牛肉を好んだことがヒントとなり、会長は早くから外国産牛の赤身に商売の活路を見出し、当時高級品だった牛肉がいつかは鯖や鯵のように気軽に食べられる時が来るという先見性のもと牛肉の大衆化を図りました。(1970年オーストラリアチルドビーフ販売)

売れるものは必ず売るという売りに対する執念はかなりのもので、肉の明治屋の店頭でも自ら声を出しお客を呼びとめ売りに専念するのは勿論のこと、他の精肉店が当時しなかった店内にビラを下げたり、トレーパック商品でセルフ販売を行なうなど、販売方法にも研究熱心でした。また、料理方法についても自分自身で調理しながら試行錯誤し、お客様に対して「こういう風にして食べたらおいしい」と自ら説明し肉を薦めていました。

そういった会長の商売への姿勢が、今日の「売りに強い明治屋産業」に受け継がれています。

明治屋産業創業者、故谷尾欽也会長

ピックアップ

1953~肉の明治屋誕生まで

戦後、明治屋産業㈱の創業者である故谷尾欽也会長は(逝去時は当社の会長でした、以下、会長と呼びます)16歳で福岡県飯塚市の西田製精肉店で働き、20歳で北九州の河原産業㈱に奉公しながら精肉業の勉強を行い、その後、宮田町の貝島炭鉱内に精肉小売の売店を出店しました。

作業で疲れた体を癒す為、当時の炭鉱夫は贅沢とされていた肉を良く食べ、そのため売店での肉は飛ぶように売れ、また毎週木曜の特売日には行列が出来るほどの大繁盛でした。売店は5坪(畳10枚ほど)の狭い店でしたが、店内には販促物が溢れそれは賑やかな店内でした。

若かりし頃の会長

その後、会長は1963年(昭和38年)に直方市明治町の明治町商店街に「肉の明治屋」という屋号で店舗を構えました。順調に精肉の小売店舗は増え、八幡製鐵所(現・新日鉄)のテツビルストアにも請われて入店し、当時としては珍しいトレーパックによる肉のセルフ販売を始めました。会長は精肉に対する並外れた経験、知識、情熱があり、期待以上の成果をあげ、テツビルストアからも驚嘆されました。

この頃世間では翌1964年(昭和39年)に東海道新幹線の開通や東京オリンピックが開催され、日本全体が高度成長の真っただ中であり、肉の明治屋もその波に乗り破竹の勢いで発展していきました。

1972年4月 明治屋産業株式会社 設立

1972年(昭和47年)4月、個人商店の肉の明治屋より改組し、明治屋産業株式会社を設立しました。この時、社員の気持ちを反映したいという思いから、会長は当時10万円の懸賞金をかけて会社名を募り、多くの社員に支持された「明治屋産業」に社名が決定したというエピソードが残っています。

翌年、直方市大字感田に本社・工場を移転し、いよいよ食品業界を驚かせた「びっくり市」誕生への幕が切っておとされました。

当時の航空写真

1976年4月 びっくり市誕生

創業当時の航空写真(1976年)
    中央に見えるテントの連なりが当初のびっくり市です。

時折、地元感田の住民の方が「お肉を分けてください」と工場を訪れるようになりました。会長の指示で地元の人だからたくさんおまけして販売したところ、これが口込みでどんどん広がり、宣伝広告を一切していないのに遠方からも訪れるようになりました。うれしい悲鳴ではありましたが業務に支障が出た事もあり、週に一度、地元の方々の声にお応えして土曜の午後に工場の一角で冷ケース3本で肉の小売を始めました。

ところが勢いは衰えず、益々お客様は増え続け、それどころか露天商の人までが工場のまわりで店をひらき、さらに交通渋滞が起き警察が出動し、毎週土曜日の工場付近は大パニックとなりました。会長はこれを見兼ね毎週土曜日は工場を解放し、「いっしょにやらんかね」と熱心な露天商には「市価より安ければ家賃はいらん」という条件で工場内に入ってもらい精肉の販売と共に商いを行ない、1976年(昭和51年)4月、まさしく「土曜びっくり市」の誕生となりました。

一年半後、びっくり市は土曜・日曜の2日間営業となり、ピーク時には1日に2~3万人の人が訪れ、買い物をするお客様だけでなく食品や流通業界の人たちが日本全国より見学に訪れ、これがヒントになり、全国にびっくり市やジャンボ市といった形態の商業施設が広まっていきました。(1989年には金・土・日の3日間営業となりました。)その後、当社はこのびっくり市から全国に店舗展開を行ない、「食肉小売業日本一」の栄冠を手中に収めました。1989年、精肉小売店を開いて27年目の春、九州山口の経済界で食肉小売業日本一の経営手腕を発揮した社長として認められ、優れた経営者に 贈られる賞である「第16回経営者賞」を受賞されました。

1981年頃のびっくり市(第創業祭)風景

沿革

1979年5月

びっくり酒店営業開始。

1979年10月

北九州市の百貨店「黒崎そごう」に出店。(百貨店出店1号店)

1980年8月

大分中央店オープン。食肉販売専門店として当時日本一の売場面積を持つ。

1980年10月

大分中央店2階に「レストランサンリブ」をオープン。(レストラン1号店)。
外食産業に進出。(現在のレストラン営業部)

1981年6月

福岡市の百貨店「西新岩田屋」に出店。

1981年8月

社内報の第1号を発行。
社内報の第1号

1982年12月

広島新鋭ミート株式会社設立。

1983年8月

広島市の広島そごうに出店。
(中国地方1号店)

1983年10月

びっくり市来場者数1000万人突破。
びっくり市来場者数1000万人突破

1983年12月

大分市中央店3Fに 焼肉・鉄板焼・しゃぶしゃぶ専門店「豊後明治屋」を出店。
(レストラン2号店)

びっくり市に列車通りオープン。

1984年4月

サン明治屋、ミラノ亭黒崎店オープン。
(ミラノ亭1号店)

1984年6月

びっくり市開設8周年&筑豊初の観覧車お目見え。

1985年6月

びっくり市にワインセラー誕生。

1985年10月

中国大連食品公司と合作で馬肉生産を開始。

1985年12月

飯塚市に西日本一の「フェスティバルプラザ サン明治屋」オープン。

世界の主なニュース
1979年 マザー・テレサが
ノーベル平和賞を受賞する
1980年 ルービックキューブブームが起こる
1981年 イギリスのチャールズ皇太子と
ダイアナ・スペンサーが結婚
1982年 500円硬貨発行
1983年 ファミリーコンピュータが発売

ピックアップ

1979年10月 百貨店初進出 ~商人は死ぬまで勉強~

北九州市の「黒崎そごう」を1号店とし、百貨店への進出が始まりました。「薄利多売を徹底させている明治屋産業が目指してきたのはサービスに徹した商人としてのプロの精肉屋。サービスとは、商人として自分を磨くこと、技術を向上させてお客様に体で奉仕する。」この哲学が百貨店のお客様にも受け入れられ多くの賑わいを生みました。また、黒崎そごう店での明治屋産業初の対面販売により、お客様のニーズにあった販売方法が確立し、1981年に西新岩田屋に百貨店2号店、次いで1983年に広島そごう店と百貨店への出店が進んでいきました。

1980年10月 外食産業に進出 ~総合食品産業を目指して~

創業当時の航空写真(1976年)
    中央に見えるテントの連なりが当初のびっくり市です。

精肉の小売業を生業にする中で芽生えた外食産業への夢・・・。「幅広く食の創造をしていきたい」その思いが実を結び、1980年にレストランサンリブ(レストラン1号店)を大分中央店2階にオープンしました。時代のライフスタイルを確実にとらえた「食肉業者経営のレストラン」として大反響を呼びました。

また1984年には、サン明治屋・ミラノ亭黒崎店をオープン。メディアにも多く取り上げられミラノ亭では当時パスタ専門店で西日本一の売上となるほど人気を博しました。

1981年8月~ 社内報の歴史

1981年8月に社内報第1号が創刊されて以来、現在に至るまで、社内の行事や店舗、全国各地に配属されている従業員の紹介など様々な記事を掲載(過去にはVHS映像の社内報も製作)。

1984年6月 観覧車登場 ~子供達に『夢』と『楽しさ』を~

観覧車登場

びっくり市8周年大創業祭に合わせ、筑豊地区で初めての大観覧車が登場。「筑豊には遊園地がひとつもない・・・どうにかして子供達に『夢』と『楽しさ』を与えたい」という思いから実現しました。さらに直方市内の園児を無料招待、しかもベンツの二階建てバスでお出迎えするという企画も行われました。その後、メリーゴーランド等も設置され、地元の人に愛され、親しまれ、なくてはならない「びっくり市」として繁栄しました。

1985年10月 新しい可能性を求めて

かつて鯨肉は一般家庭はもちろん学校給食でも食べられるほど大衆化していましたが、1988年に日本が商業捕鯨から撤退し、一部を除き鯨肉は食卓より姿を消しました。その鯨肉の代替品として将来を見越し馬肉に注目し、国内ではなく中国で馬肉を生産し輸入することで安価な馬肉を提供しようと考え、中国大連の企業と合作というかたちでの取り組みが始まりました。
 馬肉は栄養学的にもエネルギー、脂肪、コレステロールの含有量が低く、反対に蛋白質の含有量は多い為、貴重な蛋白源として国内の一部では400年前より食されてきました。また馬肉料理は、ヨーロッパでもフランス、スイスをはじめとした多くの国々で多種多岐に渡り、楽しまれています。

新しい可能性を求めて

1985年12月 食べることが祭りになった巨大な味のスタジアム

食べることが祭りになった巨大な味のスタジアム

当時、西日本最大の規模を誇る420坪、総座席数約400席を有するフェスティバルプラザ・サン明治屋を飯塚市にオープンしました。店内には当時はあまりなかったサラダバーを始め、焼肉・鉄板ステーキ等、安くて美味しいお肉料理を食べられるお店としてはもちろん、入り口付近のエントランスホールでは大きな滝を造り、カミナリが鳴り、虹を架け、星座が出る等、従来のレストランにはない憩いの場としても話題になりました。

沿革

1986年9月

アメリカから超特大コンボイがお目見え。

1987年5月

福岡市福岡センタービルにおいて営業本部・輸入商事課開設。びっくり市内にワイン課第二酒販改装オープン。

1988年1月

東京・品川駅に高輪口に東京事務所開設。

1988年3月

BIGBIG川崎西武店オープン。(関東1号店)

1988年4月

びっくり市植物園オープン。

1988年5月

熊本に新鋭ミートコントロール株式会社設立。(現・新鋭ミート㈱熊本事務所)

1988年7月

大分中央店にアイスクリームショップ「ハーゲンダッツ」1号店オープン。

北九州市大里店オープン。店内にビーフボックス(弁当・唐揚げ店)1号店併設。

1989年4月

福岡県直方市に集配センター完成。西日本一の大型冷凍・冷蔵庫15,000トン収容。

1989年6月

名古屋市栄パルコ内にBIGBIG名古屋パルコ店オープン。(東海1号店)

1989年9月

びっくり市に鮮魚店オープン。

日本一のからくり時計登場。(金・土・日の3日間営業となる)

中国大連食品公司との合作で中国に大連明食食品有限公司設立。

1990年3月

池袋ショッピングパークにBIGBIG池袋店オープン。(東京都内1号店)

1990年6月

びっくり市開設15周年記念大創業祭開催。

1991年1月

びっくり市にて巨大鍋での豚汁無料振る舞い。
当時のチラシ

1991年3月

東京浜松町に東京支社を開設。
札幌そごう百貨店にBIGBIG札幌店をオープン。(北海道1号店)

1991年11月

加古川そごう百貨店に壱丁田加古川をオープン。(関西1号店)

世界の主なニュース
1987年 世界の人口が50億人突破
1988年 東京ドームが完成
1989年 元号が昭和より平成となる
1989年 消費税スタート
1990年 東西ドイツの統一
1991年 ソビエト連邦の崩壊

ピックアップ

1986年9月 超特大コンボイ ~日本の道路を走れない!?~

全長19.2㍍、総重量13.5㌧の18車輪の特大コンボイが直方に上陸。当時、日本では道路交通法で認められない車のため、特別許可を取り夜中に博多港から直方に到着等、新聞にも取り上げられ話題となりました。最近では、移動式ステージとして元大関魁皇(現浅香山親方)の激励会等で活躍しました。

超特大コンボイ

1988年3月~ 関東・東海・関西へ次々と進出

オープン当時の川崎西武店(関東1号店)

1988年、競合店の多い激戦区である関東地区の川崎西武百貨店に関東初出店を果たしました。

その翌年には、東海地区初出店となるBIGBIG名古屋パルコ店、2年後の1991年には加古川そごう百貨店に関西地区初出店を果たすなど、全国各地に店舗展開を進めていきました。

その土地独自の食文化の違いなどもあり、営業するにあたり当初は不安な面もありましたが丁寧なサービスと豊富な商品力が話題となり大成功、その後も急速に店舗を増やしていきました。

1989年4月 集配センター完成~品質へのプライドから機能性が生まれた~

全国に広がる明治屋産業の事業展開を支えるのが、直方の集配センターに集約された最新鋭の管理体制です。総敷地面積22,600㎡、延床面積8,400㎡。西日本一の広さを誇る集配センターでは、そのすべてがコンピュータ制御され、±0℃のチルド冷蔵庫から-50℃の瞬間冷蔵庫までを機能的に管理。15,000㌧もの商品を最良の状態で保管し、迅速に配送されるシステムとなっています。

国内外の生産者と直接取引契約を結ぶことで徹底したコストダウンと品質管理体制を実現。特に海外から仕入れた商品は、コンテナのまま集配センターへ搬入され、出荷を待つあいだ、外気に触れることはありません。こうした効率化と品質管理の努力により、常に安心・美味なお肉をお客様にお届けしています。

集配センター完成

1989年9月 びっくり市鮮魚店オープン~ショッピングセンターを目指して~

列車通り

この頃、びっくり市場には生鮮3品のひとつ、鮮魚売場がありませんでした。肉の売上げが落ちてしまうという反対意見が多少なりともあったからです。しかし「相乗効果」を狙い、精肉売場と同規模の鮮魚売場(12店舗)をオープン。蓋を開けてみれば、鮮魚売場の評判もよく、精肉売場の売上げも上がりました。(テナント数合計55店舗)

その一年後には列車通りを廃し、全店舗をびっくり市内に設置。一大ウィークエンドマーケットとしてリニューアルされました。

1989年9月 中国大連食品公司との合作で中国に大連明食食品有限公司設立  ~馬肉の美味しさを手軽に食卓へ~

美味しさとヘルシーさを合わせ持つ馬肉。そこにいち早く注目し、四年越しで中国との間で進めていた馬肉の輸入がいよいよ企業としてスタートしました。ここまでの道のりは決して平たんではありませんでしたが会長自ら何度も中国・モンゴルへと足を運び、品種改良など試行錯誤の結果、馬肉の安定供給と品質の向上が実現し、馬肉の美味しさを手軽に食卓へ届けられるようになりました。

中国に大連明食食品有限公司設立

1991年3月 ついに北海道まで制覇

ついに北海道まで制覇

北海道に初出店を果たし全国への展開を更に一歩進めました。魚介類が新鮮で豊富な地の為か、お客様は肉に対しての知識があまりなく、マトン・ラム肉(ジンギスカン)の人気が非常に高いという一味違う地域性での挑戦が始まりました。そこで、価格・品揃えはもちろん、鮮魚に負けない鮮度にこだわったアイテムを充実させ「道産子心」をくすぐる店舗を構築しました。

沿革

1992年1月

びっくり市にて巨大鍋での第1回びっくり開運肉うどん無料振る舞いスタート。(~2006年)

1992年4月

下関によしおか酒店(現下関店)オープン。(びっくり酒店支店1号店)

1992年5月

本社を福岡県直方市から福岡市博多区の博多駅新幹線ビルに移転。

1992年10月

サンリブ古賀店内に現在のPAOPAOの前身である「神戸点心」をオープン。

1992年11月

直方市に谷尾美術館オープン。

1993年2月

鹿児島新鋭ミート株式会社設立。
(現・新鋭ミート(株)鹿児島事業所)

1994年4月

東京支社を浜松町貿易センタービルに移転。

1994年5月

京王百貨店にPAOPAO新宿店をオープン。

1995年12月

米国コネチカット州のSM「スチュー・レオナーズ」をモデルにSSM「タベルト太宰府店」をオープン。

1996年4月

新鋭ミート株式会社設立。
(北九州・福岡・大分・熊本・鹿児島を合併)

1996年6月

福岡市早良区百道浜に「ラ・マニーナ百道店」をオープン。(ラ・マニーナ1号店)

1996年9月

本社を福岡市博多区の博多駅新幹線ビルから福岡市早良区百道浜に移転。

1996年11月

京都市藤井大丸地下1階に「タベルト京都店」オープン。

1997年1月

食品の衛生管理、スタッフの衛生指導のため、検査機関「衛生検査所」を福岡県直方市に開所。

1997年10月

福岡三越店に「おにぎり・お惣菜天気堂」をオープン。

1997年11月

谷尾第2美術館(書道)、アートスペース谷尾(ガラス工芸美術館)オープン。

1998年4月

びっくり酒販株式会社を設立して本格的に酒販小売業に進出。

1998年6月

北京そごう百貨店に北京店オープン。(海外事業1号店)
京都駅前日本生命ヤサカビルに関西支社開設。

1998年10月

びっくり市にガリバーからくり時計登場。

世界の主なニュース
1993年 Jリーグが開幕
1994年 関西国際空港開港
1997年 消費税5%に増税
1998年 長野オリンピック開催
1998年 サッカー日本代表がW杯初出場(フランス大会)
1998年 Windows98が発売

ピックアップ

1992年1月 巨大鍋で約8万食びっくり開運うどん ~度肝を抜いた新春の恒例行事~

「年に1度位はお客様へ恩返ししたい」という想いから、当時日本一の巨大鍋を制作し、市民総参加のイベントを開催。1991年の巨大鍋豚汁無料接待に続き、1992年から初売りの恒例行事「びっくり開運肉うどん」がスタートしました。巨大鍋は、直径5.8㍍、重さ1.5㌧。うどんの材料は3日分で牛肉12㌧、めん16㌧など使用。この3日間で約8万食分が振る舞われました。この「びっくり開運肉うどん」は、2006年まで続き、2007年より初夢お年玉くじ抽選会を実施しています。

巨大鍋で約8万食びっくり開運うどん

1992年11月~ 谷尾美術館オープン

谷尾美術館オープン

会社創立20周年記念として、地元福岡ゆかりの芸術家を育てたいという会長の熱い思いのもとに、会長所蔵の美術品や地元芸術家の作品を展示した美術館がオープンしました。建物の外観は、1913年に建てられた洋館造りの医院をそのまま使用し、オシャレなたたずまいで注目されました。会長の逝去後、直方市に寄贈され現在は直方谷尾美術館として親しまれています。(第2美術館・アートスペース谷尾も直方市に寄贈されました。)

1994年5月 PAOPAO新宿店オープン ~点心という新たな可能性~

具材の玉葱を店舗で手切りするなど、気が遠くなる仕込み作業を行っていたこともあり、オープン当時は7アイテムのみの販売でした。その後、オペレーションの向上と黒豚シューマイの販売、当時のデパ地下ブームと相まって、味はもちろん、手作り点心専門店として着実に人気が高まりました。

約6坪の売場からスタートした新宿店は現在、PAOPAOの中で一番の売上を誇る店舗に成長しました。

PAOPAO新宿店オープン

1996年9月 Mタワーに移転

Mタワーに移転

福岡市の副都心シーサイド百道にある地上20階建て、高さ100㍍のMタワーに本社が移転しました。

本社のあった17階からは目の前の玄界灘が一望。またエントランスは高さ18㍍の吹き抜けとなっていて、クリスマス時期には10㍍を越す巨大なクリスマスツリーなども飾られていました。

1996年11月 タベルト京都店オープン

タベルト京都店では健康・安心・安全をストアコンセプトに、季節感や旬・鮮度を追求した生鮮食品のほか、アップスケールした商品をお求めやすい価格で提案を行っています。

オープン当初は知名度が低い中での営業でしたが、日々の努力により地元住民の方々から愛されるお店となりました。

タベルト京都店オープン

1998年6月 海外へ初進出

海外へ初進出

北京市宣武門の北京そごう百貨店に海外一号店をオープンしました。食文化の違い、言葉の壁など、卸業者のない中国でオープンまで問題解決に奔走しました。更に頭を下げて販売する習慣のない中国。日本式にこだわり従業員の接客教育を徹底した結果、気持ち良く買い物が出来ると評判になり連日賑わいをみせる形となって、次の海外出店への基礎を築きました。

1998年10月 びっくり市の顔 ~迫力の巨大からくり時計でお出迎え~

1983年当時、びっくり市の入口は迫力満点の大看板でした。その後、1989年にびっくり市拡張(鮮魚市場)オープンに合わせて、当時日本一のからくり時計が完成。更に1998年には巨人ガリバーが加わり全幅約20㍍×高さ約9㍍の大パノラマのからくり時計が完成しました。現在もびっくり市の入り口でお客様をお迎えすると共に大砲音と癒しのリズムで時報を伝えています。

びっくり市の顔
迫力の巨大からくり時計

沿革

1999年2月

品川区ゲートシティプラザにマーノマッジョ大崎店オープン。(マーノマッジョ1号店)

1999年6月

創業者谷尾欽也会長逝去。

1999年10月

びっくり酒販株式会社を吸収合併。

2001年9月

東京支社を港区世界貿易センタービルから現在の品川駅前港南ビルに移転。

2002年3月

惣菜部門を事業部化し、デリカ事業部を発足。

2002年6月

業務改善室(現在の業務管理指導室)を設置。

2005年3月

JR大宮駅構内にPAOPAOエキュート大宮店オープン。(駅ナカ1号店)

2005年12月

福岡市南区にグラッチェ大楠店をオープン。(グラッチェ1号店)

2006年4月

関西支社を現在の京都市下京区七条通セコム損保京都ビルに移転。

2008年5月

PAOPAOがハワイ・オアフ島のアラモアナショッピングセンター内の白木屋に催事出店。

2009年11月

名古屋セントラルタワーのマーノマッジョ名古屋店が水戸岡鋭治氏のデザインによりリニューアルオープン。

2009年12月

関越自動車道三芳PA上りフードコート内に「M1プレート」をオープン。(レストラン営業部高速道路初出店)

2010年8月

本社を福岡市早良区百道浜から福岡市博多区博多駅東スフィンクスセンターに移転。

2011年8月

東名高速道路海老名SA上りにマーノマッジョグリル海老名店をオープン。

2011年12月

東名高速道路海老名SA上りにPAOPAO海老名SA店をオープン。(デリカ事業部高速道路初出店)

2012年3月

創業50周年

2012年4月

新東名高速道路静岡SA下りに4店舗をオープン。
(炙ラーメン明・鉄太郎うどん・ミートキッチンMJ・PAOPAO HW)

2012年5月

東京スカイツリー内にPAOPAO東京ソラマチ店をオープン。

世界の主なニュース
2000年 2000円札が発行される
2001年 アメリカ同時多発テロ事件発生
2002年 EU単一通貨ユーロ流通開始
2002年 FIFAワールドカップ・韓国/日本大会が開幕
2004年12月 牛肉トレーサビリティ法施行
2005年 愛・地球博開催
2010年 はやぶさ(探査機)が小惑星イトカワから地球へ帰還
2011年3月 東日本大震災発生

ピックアップ

2005年3月~ 「駅ナカ」「高速道路サービスエリア」という新しいフィールドでの挑戦。

デリカ事業部は2005年のPAOPAOエキュート大宮店出店を足がかりに、駅そのものの持つ集客力や利便性の良い「駅ナカ」での出店を行っています。また、高速道路初出店となるPAOPAO海老名SA店も出店し手軽に味わえる手作り点心が話題になっています。

2009年、レストラン営業部はフードコートという新しい店舗業態で三芳PAにM1プレートを高速道路初出店。2011年には日本一の利用者で賑わう海老名SAにマーノマッジョグリルを、また2012年には新東名高速道路静岡SAに4店舗をオープンするなど新しいフィールドでの挑戦が続いています。

 「駅ナカ」「高速道路サービスエリア」での成功が今後の店舗展開の重要な鍵となっていきます。

2005年12月 グラッチェ大楠店オープン ~進化した新しいスタイルの酒店~

2005年12月 グラッチェ大楠店オープン~進化した新しいスタイルの酒店~

ワインに特化したグラッチェ大楠店は数百種類のワインを取り揃え、併設したバーカウンターではワインBARとしてはもちろん、定期的にテイスティング会も実施。ワインに合う輸入食材などの品揃えも充実しており、新しいスタイルの酒店は、週末多くのお客様で賑わいをみせています。 

2012年~ さらなる飛躍を目指し、
  明治屋産業は次の50年へ。

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